アンドカンパニー&Co.『道化の霊廟』
大相撲春場所の中止が決まった。失われたものはずいぶん大きい。すべてを明文化しルールに則った上で為されるパフォーマンスだけが認められる世になった。いっとき「KY(空気読め)」なんて言葉が流行ったが、今にして思えば日本村の最後の抵抗だったのかも知れない。もう空気は読まなくても良い。ルール違反に目を光らせていれば良い。
嘘を嘘と知りつつその甘ったるさに酔えるお客さんがずいぶん減った。陳腐なメロドラマの、その陳腐さを愛でる能力が減退している。「泣ける」ことが売り文句になるのはメロドラマにとっては恥である。「ネタバレ」に過敏な連中は現実と嘘の区別が付いていない。安い本音が立派な建前よりも重んじられる世の中は息苦しい。
嘘を楽しめなくなったのはなぜだろう。我々は騙されたのだった。前世紀に名を馳せた一流のホラ吹きどもに。裏切られた恨みだけが世紀を跨いだ。いま、ロックンロールを、ソーシャリズムを、イノベーションを、レボリューションを夢として語ることには覚悟が必要だ。実利で語れなければ人は動かない。なんて世知辛いんだろう。
この世知辛さ、息苦しさを愚直に受け止めた結果、偶像崇拝には二重の戦略が必要となった。荘厳であるはずの儀式は、工場労働者を思わせる作業着に包まれた語り手たちにより、あくせくとひとつひとつ処理される。それなりに丁寧に、それなりに粗雑に。聖き名は大量生産品のように無分別に口走られ、聖像は紙で象られる。何から何までが律儀に可視化され、感動をもたらすいかなる効果も人造のものだといちいち念が押される。まったく息苦しい。しかし、この息苦しさを選んだのは我々自身なのだ。
我々、この愚かなキノコたちを駆動するのはいったい何なのか、それはこの舞台のラストシーンで明白に提示される。光り輝く、しかし名を奪われた不定形の身体によって。
この絶望感は共有しといたほうがいい。
危口統之
Le Journal de La Princesse frivole | ブルトンのわるくち
このエントリーを書いた方とは美味い酒が飲めそうだ。
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彼は無言で彼女に髪を梳かせた
黒蜥蜴
